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親指のマリア [アート]

《聖母像(親指のマリア)》 イタリア 長崎奉行所旧蔵品 宝永5年(1708)シドッチ携行品 【重要文化財】
《聖母像(親指のマリア)》 イタリア 長崎奉行所旧蔵品
宝永5年(1708)シドッチ携行品 【重要文化財】

「キリスト教禁制下にイタリア人宣教師シドッチ(1667~1714)が携行した作品。青は中世においてキリストの死を嘆く聖母の悲しみの色とされた。シドッチは宝永5年(1708)に屋久島で捕らえられ、新井白石が取り調べた。遺品の中でも特に美しいマリアである。(作品解説より)」

とんぼの本 こんなに面白い東京国立博物館

とんぼの本 こんなに面白い東京国立博物館

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/04/21
  • メディア: 単行本

「旧彫刻室の収蔵品総数の四割強を占めていたキリシタン関係遺品がなぜ彫刻の蔵に収められてたのか不思議な話。もともとこの遺品は長崎奉行所が信徒たちから没収したものが中心となっている。維新後、長崎県に引き継がれて県の倉庫に眠っていたが、明治七年、あるフランス人が、価格は問わないから踏絵を買い取りたいと申し出てやにわに動き出し、処置に困った県が一括して当時の教部省に引き取ってもらった。それが官制改革で内務省社寺局の所管になり、さらに明治十二年、同省博物局の希望で博物館に移された。ただし踏絵については、『往時残忍之所業ヲ追想セシムルニ足リ』、外交上の問題もあるので陳列を差し控えるようにという条件付だった。確かに、信徒判別のための板踏絵(礼拝の対象であった銅牌を厚手の板にはめこみ踏絵としたもの)や真鍮踏絵を見ると、当時の迫害の歴史が生々しく蘇ってくる。他にマリア観音、ロザリオ、十字架、祈祷書などさまざまな資料が残されているが、一括して収蔵されたせいで、なかには明治以前に日本にもちこまれたふるい西洋の油絵までもが、彫刻室に収まってしまった。江戸時代最後の潜入伴天連(バテレン)として屋久島で捕らえられた宣教師シドッチの携行品で、イタリアの画家カルロ・ドルチ(一六一六~八六)作といわれる聖母図(通称『親指のマリア』)である。(P128)」

『キリシタン関係の遺品 イエズス会の布教と禁制下の信仰 』

 東京国立博物館(http://www.tnm.jp/

 本館16室 2013年3月19日~5月6日
 (http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1598

「ルターが宗教改革を推し進めていた1534年、スペインのバスク地方出身のイグナティウス・デ・ロヨラは、カトリックの中の改革派としてフランシスコ・ザビエルら6人の同志を集めてイエズス会を創立し、活動を始めました。イエズス会はポルトガル国王の支援を受けてヨーロッパ以外の地にカトリックを広めることでプロテスタントに対抗します。ザビエルが日本に来たのは1549年。こののち、日本には宣教師が次々に訪れ、キリスト教の信徒を増やしました。最盛期には40万人に達したといいます。キリスト教が禁止される17世紀初期までは西洋の情報・文化が日本に達し、逆に日本の様子が西洋に伝えられました。日本と西洋がつながったのです。
しかし江戸幕府がキリスト教を禁止し、追放そして厳しい弾圧によって改宗を迫ると信徒はいなくなったはずでした。ところが、長崎の一部の地域に潜伏して信仰を守り続けた人々がいました。カクレキリシタンです。彼らは組織をつくって結束し、仏教寺院の檀家を装い、仏壇の奥にマリア観音像を置き、踏み絵を踏んで帰ってから懺悔(ざんげ)のオラショ(祈祷(きとう)文)をとなえました。ここに展示した遺物のほとんどはこうしたキリシタンの人々が所持していたものです。
明治政府も禁制を続けましたが、欧米諸国の強い批判を受けて明治6年(1873)信仰の自由を認めました。(東京国立博物館HPより)」


『キリシタン関係の遺品 イエズス会の布教と禁制下の信仰 』
http://ryuu.blog.so-net.ne.jp/2013-04-11
 
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新井白石著 『西洋紀聞』
新井白石著 『西洋紀聞』

西洋紀聞 (東洋文庫 (113))

西洋紀聞 (東洋文庫 (113))

  • 作者: 新井 白石
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 1968/04
  • メディア: 文庫


西洋紀聞 (東洋文庫)

西洋紀聞 (東洋文庫)

  • 作者: 新井白石
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)

本文のみならず、附録として関係資料が網羅されている。
すべてが現代語訳されているわけではないので読みづらさはあるが、中高レベルの古文・漢文の基礎的な知識があれば、十分理解できる。(表意文字バンザイ!)
いきなりこのお堅いのと向き合うのは骨が折れるので、新井白石とシドッチに関する本をいくつか読んで予備知識を入れてから挑戦した。新井白石とシドッチの間のやりとり(取調べ)を記述した本は、ここに書かれていることが元になっている。各著者による表現の違いを比較してみるとなかなか面白い。

「 ちなみに、マドリッドの著書は『悲しみの聖母像』について、
「そしてその旅嚢の中へほとんど四角にちかい、ごくちいさな、約一カンナの三分の一ほどの『悲しみの聖母』の一絵額を置いた。」
と記しているが、一カンナはイタリヤでは地方によってまちまちではあるけれども、ローマは約一メートル程度に用いられるから、その三分の一は我国の一尺余にあたると見て差支えないようである。そうとすれば、我方の記録に「竪壱尺、横八寸五分」と注している、ほぼ一致することになる[西村貞氏『南蛮美術』に拠る]。 (『西洋紀聞』 注 P124)」

Cus11101_200.jpg「一 四角成ひいとろ鏡の様成物壹
 異国人ニ相尋ね候処 サンタマリアと申す 宗門の本尊の由申候
 木綿の類か  如此きれにて斗帳の様なる物懸て有之候
  [図内の文字]此内ヒイトロ下に絵如此有之候
  [図内の文字]外廻り木 紫檀のことし
 竪 壹尺  横 八寸五分
 但裏ハ皆木にて かねのくわん打 有之候
 赤とんすの袋へ 入候白ドンスに赤きうら也
○君美も奉 明旨奉行所におゐてこれをみたり此女の像年の比四十ちかきほどニ見えて目をちゐりて鼻みねたちてうれはしき面躰也頭にかつきし衣の色ハ青藍色下に着しものハ白かりしやおほつかなし
 (『西洋紀聞』 長崎注進羅馬人事宝永五年下巻 P262)」



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密行 最後の伴天連シドッテイ

密行 最後の伴天連シドッテイ

  • 作者: 古居 智子
  • 出版社/メーカー: 新人物往来社
  • 発売日: 2010/05/22
  • メディア: 単行本

詳しく書かれているが丁寧な文でわかりやすく、読みやすかった。

親指のマリアに関する記述。
「 シドッティが持参した黒袋には、屋久島の役人が「名も付け難きもの」と表現したミサ用のさまざまな道具と書籍、そして金貨銅銭に衣類などが入っていた。苦労して異人から聞き出したのだろう、それぞれの名前や用途を添付した長崎の覚書きには、文章だけでは形状を描写しえないと判断されたものについては、挿画も添えられていた。
 白石はそれらの現物をひとつひとつ入念に観察し、自らの手でもう一度、模写さえして、新たに気付いた点についてのコメントも付け加えた。
 これから対面する相手の個性、人格の断片のようなものをひとつでも見極めたい、そんな気持であった。長年、丁寧に扱われた様子が伝わってくる道具類からは、それらが特に大切なものであると同時に、持ち主の厳格で几帳面な性格が窺い知れた。
 中でも白石の目を捉えたのは縦一尺(約三〇センチ)、横八寸五分(ニ五・八センチ)ほどのびいどろ(ガラス)張りの紫檀の木の額に収められた女性の像だった。頭を斜め前に傾げ、目を伏せた表情は哀しげで、衣の端からそっと出された親指の先が何とも生々しく胸に迫るものがある。踏み絵に見られるような十字架に磔になった男の凄惨な図柄と比べて、この絵が醸し出す雰囲気は何と優しげで儚げなことだろう。
 また、その描写の見事なリアルさはまさに驚くばかりである。頭から全身を覆った青藍色のベールは細かい襞までがひとつひとつ表現され、頭には深い影が落ちて、目の窪み、頬の膨らみまでくっきりと立体的に描かれている。中国の仏教美術の影響で陰影のある絵が皆無だった当時、それはまるで生きている女性の息遣いと体温を感じさせるものに写った。
 「サンタマリアと申す宗門の本尊」と説明書きされた挿画の横に、「年の頃四十近きほどに見えて、目はくぼんで、鼻筋が高く、うるわしき面体也」と、白石は書き添えた。
 ちなみに、この聖母像は十七世紀半ばにフィレンツェで活躍した宗教画家カルロ・ドルチの作とされている。「親指のマリア」と名付けられ、シドッティの唯一の遺品として現在は東京国立博物館に所蔵され、三百年経った今もまったく容色を失わず、その甘美な深い美しさを湛え続けている。
(第十六章 奇会 P221~224)」

「 切支丹屋敷の土蔵に収められていた切支丹の遺物はその後、城内の不浄庫に移され散逸したが、明治七年になって長崎奉行に一括保管されていた古聖画の中から一枚の聖母画が見つかった。
 それが、シドッティがローマから持参した「親指のマリア」であることが実証されたのは、白石が模写した図のおかげだった。構図、大きさ、材質、製作年代などが鑑定された結果、白石が書き残したものと完全に一致したことで、シドッティと一緒に屋久島に上陸した絵であることが明らかになった。実に二百四十六年ぶり、昭和三十年のことだった。 (第二十一章 最後 P302~303)」


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奇会新井白石とシドティ

奇会新井白石とシドティ

  • 作者: 垣花 秀武
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/01
  • メディア: ハードカバー

一言で言うと、生き様。シドッチと新井白石の生い立ち、成り立ち。
でも、ほとんどが新井白石について。情報が乏しいから止むを得ないが。
やたらと横道にそれてなかなか本題に入らない。しかもそのほとんどが『折りたく柴の木』に書かれているもの。やっと本題に入ったと思ったら、えっ、これだけ!?ってくらいに。。。引っ張って引っ張ってこれかよ。。。
著者の方は新井白石の末裔の方と面識があるそうだ。それを自慢げに語る記述が何度も出てくるが、正直、鼻につく。

親指のマリアについての記述。
「 白石はそれらすべてを自分で書き写しているのだが、特に大袋の中の品々について、後にシドティの取調べ中に実見している。従って、役人が写生したものを白石が模写したというよりは、白石自身が現物をスケッチしたといってよく、白石の絵心があらわれて、なかなかの出来映えである。たとえば、
一 四角なびいどろ(ガラス)鏡のようなもの、一つ。
  異国人(シドティ)に尋ねたところ、サンタマリアという宗門の本尊であると申しました。
 とあり、その左に聖母マリアの像が描かれ、その下に「竪壱尺、横八寸五分。ただし裏は皆木で、かねのくわん(金の環か)が打ってある。赤どんすの袋に入っていた」などと長崎の役人の記録を書き写しているが、聖母マリア像は明らかに白石のスケッチである。さらに白石は自分自身の感想を書き加えている。
 君美(白石)も、(家宣将軍の)ご意向により奉行所でこれを見た。この女の像、年の頃四十近いようにみえて、目がくぼみ、鼻筋が立ち、憂わしげな顔立ちである。頭にかけた衣の色は青藍色、下に着ているものは白かったか、確かでない。 (第四章 一生の奇会 P343~345)」

「 ところで、これらの祭具(シドティにとっては宝物)は家宣の裁定後、久しぶりにシドティの手元に戻ったと考えて差し支えなかろう。
・・・白石も興味を示した聖母マリアの聖画をみつめ、手にふれて、国で別れた母の面影、(もしかすると好意をいだいてはいたが、手をふれあうこともなく別れてしまった故郷の隣家の娘の面影もあったかもしれないが)海の彼方に生きている女性の面影を、「憂わしげな顔立ち」の聖母マリアの画像に重ね合わせていたかもしれない。 (第四章 一生の奇会 P346)」


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新装版 市塵(上) (講談社文庫)

新装版 市塵(上) (講談社文庫)

  • 作者: 藤沢 周平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/05/13
  • メディア: 文庫

新装版 市塵(下) (講談社文庫)

新装版 市塵(下) (講談社文庫)

  • 作者: 藤沢 周平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2005/05/13
  • メディア: 文庫

こちらは時代小説。小説なので創作による部分有り。
新井白石と間部詮房についてとても興味深く面白い内容。
読み応えあり。
藤沢周平作品は初めて読んだ。(藤沢周平という名前は以前から知っていたが。)
登場人物の描写、仕草や言葉がとても繊細で味わい深く、読んでいて引き込まれる。
映画やテレビドラマなど映像化される理由、映像化したくなる理由がわかる気がする。
もっとも、映像でどの程度までその世界観が表現されるのかはわからないが。
他の作品も読んでみたいと思う。

親指のマリアについての記述。
「 茶を一服してから、白石は二人にことわった上で、屋敷の係り役人を呼び、部屋にシドッチの所持品をはこばせた。屋久島に上陸したシドッチは、黒木綿の大きな袋をひとつ持っていて、その中身は、長崎奉行所から来た書類に添付されている目録によれば、四角なビイドロ鏡のような物、唐金(からかね)の人形、ビイドロでつくった十文字の物、横文字の書物、銀で造ったおちょこのような物、苧縄(おなわ)で出来ている鞭(むち)のような物などだった。こういう物と少しばかりの喰い物を袋に詰めて、シドッチは屋久島に降り立ったのである。
 役人は畳の上に白布を敷き、その上にそれらの品々を丁寧にならべた。
 ビイドロ鏡のような物というのは、ビイドロを嵌(は)めた木の枠にいれた画像だった。鏡のような物というのはビイドロの外見に気を取られた見方だろう。画像は頭に衣をかぶった西洋の女人像だった。白石は持って来た目録の写しと照らし合わせてみた。サンタマリアと申す宗門の本尊の由申し候と書いてある。(市塵 上 P209-210)」
「 全部見終わってから、白石はまた最初のサンタマリア像の前にもどった。若くはない、齢のころは四十近いかと思われるほどの女子の横顔だった。白石の気持ちを惹(ひ)きつけたのは、鼻の高いその顔に現れているいかにもうれわしげな表情である。着ている物は白で、頭にかぶった布は藍色だった。
 -何か・・・・・・。
 よほどの悲しみがある女子らしい、と白石が思っていると、中年の係りの役人がそばからそっと口を添えた。 『大通詞どのに聞いたところでは、この画像は悲しみの聖母とか申すそうです。』
 白石は男の顔を見た。しかし返事はせずに、横田と柳沢にむかって、ではしまわせますがよろしいでしょうかとことわった。悲しみの聖母像は縦一尺横八寸五分の物である。緞子(どんす)の袋に入っていた。聖母像だけでなく、クルスもエソキリステの人形も袋に入っていた。役人はひとつひとつを丁寧に袋に納めてから持ち去った。 (市塵 上 P211) 」


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親指のマリア

親指のマリア

  • 作者: 秦 恒平
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1990/12
  • メディア: 単行本



「新井白石とシドッチ神父-ふたりの魂の出会いなくして、近代の幕は開けなかった。最後の潜入宣教師シドッチが所持していた聖母画像「親指のマリア」と「大世界地図」をシンボルに、「西洋紀聞」の背後の闇に光を当てる、著者渾身の長編小説。 」

※著者の方のサイトで読むことができます。
 著者のHP(http://umi-no-hon.officeblue.jp/index.htm
  上巻(http://umi-no-hon.officeblue.jp/e_umi37.htm
  中巻(http://umi-no-hon.officeblue.jp/e_umi38.htm
  下巻(http://umi-no-hon.officeblue.jp/e_umi39.htm

新井白石とシドッチの出会いを書いた本。
この長編小説は1989年3月1日から12月31日まで、京都新聞の朝刊に連載されたものだそうだ。
 
そもそも、今回、親指のマリアに会いたくなったのはこの本と出合(会)ったから。
先日の記事でも少しだけ記載しましたが、数年前に図書館のリサイクルフェアで戴いてきた本です。
表紙を見て、あ、「親指のマリア!」って、即決でお持ち帰り。
でも、なかなか読む機会がなく数年経過し、2011年の春、東京国立博物館で《親指のマリア》が展示されることを知り、久しぶりに観に行こうかなぁと思っていたら東日本大震災が起き、ドタバタしていて見逃した。
そこで、この本を引っ張り出してきて読んだところとても興味深く面白かったので《親指のマリア》の捉え方が大きく変わることとなった。

設定としてはかなり出来すぎた感もある。いわゆるご都合主義とでもいうか。
でも、そこが引っかかると同時に、本当はどうなのだろうと興味が惹かれる。
そもそも、江戸時代、17世紀のこと。情報が乏しいのは当たり前。
その失われた断片をを巧みに創作するからこその小説の面白さだと思う。

この本の中ではカルロ・ドルチの孫娘がシドッチの義姉となっている。
この《親指のマリア》はカルロ・ドルチの娘(四女)、アネス・ドルチが、ボルゲーゼ美術館に所蔵されている父カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》の構図を用いて、娘のマリアをモデルに描いたものとされている。
しかも、シドッチの母とアネス・ドルチは子供の頃からの親友でシドッチとマリアは同い年、シドッチと兄は幼い頃アネスの下に居候。
シドッチはマリアに恋心を抱いており、しかもそれをお互いに知っていて、ローマを立つ際に《親指のマリア》を託すという。。。(P18~19、P35~39)
カルロ・ドルチについて気になって調べてみたが、カルロ・ドルチについての情報が日本ではあまりないので、事実関係はわからなかった。
参考になるかどうかわからないが、ひとつだけ。
エルミタージュ美術館展(江戸東京博物館:2004)の図録に「弟子であったローマ・マンチーニと娘アニェーゼ・ドルチは彼の作品を数多く模写した。(エルミタージュ美術館展 エカテリーナ2世の華麗なる遺産 P110)」とある。上記の本には、「7人いたカルロの娘のうち、四番目のアネスだけが父親と同じ画家になった。(P37)」とあるので、図録に記された娘アニェーゼ・ドルチが、この本に出てくるアネス・ドルチにあたるのかもしれない。綴りはわからないが、アネスをイタリア語っぽく!?発音すればアニェーゼになりそう。いや、エルミタージュ展の図録なので解説はロシア語を訳したもの、アニェーゼはロシア語の音によるものなのかもしれない。いずれにしろ音としては似ている。事実としては、娘の一人に画家がいてカルロ・ドルチの作品を数多く模写していたということ、そこまで。それ以上のことはわからなかった。。。

また、シドッチの父方の家系にジュゼッペ・キアラ神父が連なる。
父の祖母がジュゼッペ・キアラ神父と従兄妹だったと。(P29)
ジュゼッペ・キアラ(岡本三右衛門)はイエズス会宣教師として鎖国直後に来日、キリシタン屋敷へ収容されることとなった人物。明確に記述されているわけではないが、シドッチが殉教を覚悟の上ではるばる日本へとやったきたことの動機付けの一因ともとれるように記されている。

さらに、新井白石の母方の親戚、血筋についても。
「バンサン」と。おいおい。。。(^_^;)


「『わたしも、それじゃ、一つ尋ねよう・・・』
いつも人のあとへあとへ物を言う品川だった。頷いて、彼は、久しぶりに微笑んだ。
『あれ・・・です』と、兵次郎も悲しみのマリアへ視線を送った、『前にも訊ねたが、あの・・・指。子指かな。あの指先だけを着衣から出しているのは、なにか・・・意味が・・・』
 はッとした。何指・・・。彼は返事よりさきに尋ね返していた。子指に見えるが。品川は淡白に答えた。
『仰言るとおりだ・・・。あの青いマントからああして出せる指は、左の子指しか・・・えぇ、ないですか、ね・・・』
『親指をああ出せば、衣服のしたで、拳の形が、あんなにはならない・・・のでは』と、品川。
『そうかな。親指で着物をこぅ・・・押さえている・・・』と、今村が拳の形をつくって見せ、はてと、小首を傾げた。
『爪の形と細長いあの感じは、子指でしょう、でも・・・』
『けれども品川さん。あの絵は、ローマでもフィレンツェでも、はっきりと、親指のマリアといわれて・・・』と、彼は言い澱み、思わず、うむと力ある声を発して品川に感謝し、今度は、彼から握手を求めた。品川が、照れた。
 正直のところ彼にはカルロ・ドルチの発明になるという『親指のマリア』様式の意味が掴めていなかった。アネスにも解説を求めたことがなく、画面上の情緒ないし構図の均衡といった程度と思っていた。『親指』といわれているので、親指を、子指とながめ直す視線をもともと持たなかった。品川に、あたりまえに『子指』と言われて、突如教えられたのである。
『カタジケノ、ゴザリマス。品川サン』
 彼はよろよろと立ちかけて、寝床に崩れ落ちた。だが彼の声は弾んだ。
『親指とみても子指とみても、両方いいのですよ。子指ならばこの子指は、母に抱かれたみ子を描き表わしているのです。悲しみのマリア図ではみ子は十字架にかけられ、ピエタといわれる図なら、み子は母の膝に死んで横たわっています。しかし母の思いに子は子指となり、なおも胸の真上で、真中で、こう抱かれている・・・、つまり聖母子図・・・』
『では、なぜ親指の・・・と』と咳きこんで今村が訊いた。
『涙を流したこのマリアの視線は、ななめに、ご自身の右膝へ落ちています・・・、ね・・・』と彼は、目顔で、今村に絵を三人のまえへ壁からはこばせた。たしかに、長い美しい鼻の線に沿うてマリアの視線は、画面から沈んでみえない右の膝へと落ちていた。
『キリスト教を信じる者ならば、みな、この視線の届くところに、あたかも十字架からおろされた主のみ子の、傷つき血を流された肉体を感じます。そして母マリアの悲しみに自分の悲しみをも重ねます。と、同時に、母はみ子を悲しむその同じ視線と涙とで、われわれ無数の人間の運命をも悲しみ、また慈しんで下さっている・・・と感じるものです・・・・・・』
 今村も品川も黙っていた。
『お分りになりませんか。この画家が、もし親指をこう描いているとすれば、母の愛とともに、父なる神の愛もまた同時に、こうして・・・、子に・・・、人の子のすべてにまぢかに在ることを、表現してみせたのです』
『・・・・・・・・・・・・』
『親指も子指も、父も子も・・・、ひとつなのですよ、そうだったのですよ。おぉ・・・アヴェ・ステラ・マリス・・・』
 彼は目が燃えそうに感じつつ、上半身を起こしてひしと絵を胸に抱き、静かに、静かに・・・・・・元の詞で、歌った。
  ごきげんよう海の星(アヴェ・ステラ・マリス)!
  神のやさしい御母
  清い乙女、マリアよ
  天に開かれたただ一つの門よ!
 今村が彼に両手を差し出していた。顔色が変わっていた。彼は、抱いた額の絵を突き出すいきおいで、今村の為に手渡した。じッ・・・と、源右衛門は見入っていた。それほど長い時間ではなかった、それから起っていって今村は元の壁へ、丁寧に母なるマリアの絵をかけた-。 (P297~299)」


確かに、なぜ、親指が出ているのだろう?と疑問に思ったことはある。
でも、タイトルに親指とあるからそうなんだろうと、ましてその意味まで、それ以上深く考えたことはなかった。
親指と捉えれば、父と母と子の三位一体、ピエタ。
子指と捉えれば、子を抱き運命を悲嘆する聖母子となり、または、子の亡き姿を思い悲しみにくれる聖母子。
これはまさに目からウロコ。
作品タイトルなんて画家が付けたものもあれば、他の人が付けたものもある。
この記述を読んだとき、自分がいかにタイトルに惑わされ、先入観を持って作品を鑑賞しているのかということを痛感した。これまでに出会った多くの作品たちと対峙した時、知らず知らずのうちにどれだけ先入観を持って向き合っていたことか。
(便器に《泉》というタイトルを付けた人もいるから、逆のパターンも成り立つってことか。。。)
知識を持つことはとても重要だが、それにとらわれすぎて思考停止になってはいけない。
もともと乏しい知識で思考能力が低いのだから。
自分で視野を狭め、解釈の多様性を否定し、楽しみ方に制約を課していた。
驚いたのと同時に、恥ずかしくもなった。。。

こういう言い方は変かもしれないが、正直、親指でも子指でも、どっちでもいい。
重要なのは、それが意味を持ってそこに描かれているということ。
画家が明確にしていない以上、その判断は専門家に任せればよい。
専門家の見解も多数あるだろうし、時代とともにその解釈も変化するだろう。
キリスト教世界では当然のことであっても、私はキリスト教の人間ではないので、
解説されないとわからない。
そこでタイトルに依存することになるが、
タイトルに用いられるからにはそれなりの理由を解説として付されるべきである。
しかしそれは思考を停止させ、視野を狭めることにもなりかねない。
つまり、作品の捉え方、楽しみ方を、自ら制約してしまうことになる。
わかりやすいかもしれないが、解釈の多様性を否定し、意図的に誘導されることにもなる。
この作品に限らず、その可能性は常に認識すべき。

おっと、書いている自分でも何が言いたいのか、
だんだんわからなくなってきたぞー。
いつも以上にまとまりがないぞー。
内容は・・・あるはず。 きっと。。。(^_^;)


この本の記述では、親指と捉えても子指と捉えても、その先が、
つまり、その意味するところが明示されている。
それが裏付けされたものか推測か創作かはわからない。
しかし、専門家ではない私たち一般人が鑑賞する場合には、
このように、いや、もっと自由な解釈があるべきだし、
それによって楽しみ方が広がるのは良いことだと思う。
綺麗とか格好いいで終わらせるのも良いが、
一歩踏み込んで、そこにはどのような意味があるのか、どのような思いが込められているのか、
創造(妄想?)を膨らませるのも、絵画の楽しみ方の一つだとあらてめて思った。
もちろん、たくさんの作品を見て、本を読んで、知識を習得することは、とても重要である。

一般的に、子供向けのワークシートでは、単なる解説だけではなく、
子供たちの自由な発想を引き出すための工夫がされているものがある。
あれは大人にこそもっと積極的に配布し、
硬くなりつつある頭を柔らかくするために活用すべきだと思った。

そこで、いろいろな思いを抱いて、この春、《親指のマリア》に会いにいった。
東博の常設展示は普段は企画展の際に鑑賞する程度で常設展示のためだけにお金を払うことはめったにない。(ちなみに昨年のボストン美術館展のときは企画展だけでとっとと撤収した。)
大琳派展か皇室の名宝展のときにキリシタン関連の特集展示が組まれていたがスケジュールの都合でカットした。展覧会を掛け持ちしていると多々あること。
そのため、親指のマリアとの再会は10年ぶりくらいとなった。
また、国立西洋美術館の《悲しみの聖母》とも比較して鑑賞したいという思いもあったので、
ラファエロ展後に常設展を鑑賞してから、東博へ向かうことにした。
《悲しみの聖母》《親指のマリア》も深い精神性を持つ美しい聖母の作品。
新井白石が実際に目にし、心を揺さぶられた《親指のマリア》、あらためてじっくりと向き合うと、一層深く重いものを感じる。
また、当時、このような写実的な肖像は日本画の世界にはなかっただろうから、初見の驚きは相当なものだっただろう。これを見た人たちはどんな顔をしたのかなどと、作品を前にいろいろと思いを馳せる。(若冲の鶏も、当時、相当異質のものだったんだろうなぁと、考えてみたり。。。)
この日の午前中に鑑賞したエル・グレコ展では素晴らしいが祈る気になれないと評された作品が展示されていたが、無神論者、無信仰者ともいうべき新井白石をも惹きつけたこのカルロ・ドルチの作品、その数奇な運命とともに、信仰のない現代人でも祈りを捧げたくなるような、何か強い力を持っているように思う。

『聖母マリア エル・グレコ、ラファエロ、カルロ・ドルチ』
http://ryuu.blog.so-net.ne.jp/2013-03-31

カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》&《親指のマリア》
カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》&《親指のマリア》

カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》 1655年頃 国立西洋美術館蔵)
作品解説(http://collection.nmwa.go.jp/P.1998-0002.html


この2点について、「BLUE HEAVEN(ブログ:弐代目・青い日記帳)」のTAKさんが素晴らしい記事を掲載されています。TAKさんの記事も是非チェックしてみてください。
『マリア 悲しみの聖母』(http://www1.icnet.ne.jp/take/m.htm


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【HMV レビュー】
ドヴォルザーク:スターバト・マーテル
マリアーナ・ズヴェツコヴァ(ソプラノ)、ルクサンドラ・ドノーゼ(メッゾ・ソプラノ)、
ヨハン・ボーダ(テノール)、ロベルト・スカンディッツィ(バス)、ドレスデン国立合唱団
ドレスデン国立管弦楽団、指揮:ジュゼッペ・シノーポリ
録音:2000年4月 ドレスデン〈ライヴ・レコーディング〉
〈デジタル録音〉《4Dオーディオ・レコーディング》
近代チェコにおける最初のオラトリオの傑作です。34歳になったドヴォルザークは、新婚生活には恵まれたものの、後に次々に愛する子供を事故で失いました。こうした彼の強い悲しみが作曲にとりかからせたもので、カトリック教徒としての深い信仰心の上に父親の悲しみが付加され、音楽がさらに感動的なものとなっています。近年ドレスデン国立管弦楽団と絶対的な信頼関係のうえに充実した活動を続けるジュゼッペ・シノーポリ。ここでもドヴォルザークの悲しみと敬虔な信仰心を見事に捕らえ、美しい《スターバト・マーテル》の世界を展開します。


ドヴォルザーク:スターバト・マーテル

ドヴォルザーク:スターバト・マーテル

  • アーティスト: シノーポリ(ジュゼッペ),ドヴォルザーク,ドレスデン国立管弦楽団
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
  • 発売日: 2001/05/23
  • メディア: CD

【Amazonの商品説明】
内容(「CDジャーナル」データベースより)
2001年4月20日に急逝したシノーポリの2000年4月のライヴ。ドレスデン国立管弦楽団(シュターツカペレ)とともにドヴォルザークの宗教音楽の傑作を真摯に歌い上げる。
内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
なんとシノーポリが急逝。享年54歳。心筋梗塞とか。早すぎる! そんなところへこの『スターバト・マーテル』。これは「レクイエム」ではないものの、れっきとした宗教曲。図らずも自らへの追悼盤のようになってしまった。ま、そんな感傷は別として、この演奏は実に悲痛で劇的、そしてその対極の優しき慈愛に満ち、シノーポリのこの作品に寄せる共感がヒシヒシと伝わってくる。だが何ともリリカルで美しい曲だこと。それに随所に窺われるバロック風味がまた素敵だ。もっと親しまれてもいい曲だろう。合掌。 (石原立教) --- 2001年06月号
(※Amazonのリンク先で試聴できます。)

 マリアーナ・ツヴェトコーワ(ソプラノ)
 ルクサンドラ・ドノーゼ(メッゾ・ソプラノ)
 ヨハン・ボダ(テノール) 
 ロベルト・スカンディウッツィ(バス)
 ドレスデン国立歌劇場合唱団 (合唱指揮:マティアス・ブラウアー)
 ドレスデン国立管弦楽団
 指揮:ジュゼッペ・シノーポリ


ドヴォルザーク スターバト・マーテル
http://ryuu.blog.so-net.ne.jp/2012-03-11


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りゅう

○ゆきママさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○ぽんこさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○あんぱんち〜さん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○りんこうさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿

○にいなさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿
by りゅう (2013-06-02 22:37) 

Inatimy

鎖国中にも日本と交流があったオランダだから踏み絵もあるのかしらと検索していたら、
オランダ版Wikipediaの踏み絵の解説に処刑のことにも触れていて、
“中には、雲仙岳の火山の中に放り込まれた。”の記述があり仰天・・・。 
本当なのかしらねぇ。
by Inatimy (2013-06-04 19:35) 

りゅう

○Inatimyさん、nice!&コメントありがとうございます(^o^)丿
鎖国中のこんな極東の島でもカトリック対プロテスタントのきな臭い主導権争いが活発に行われていたそうです。
処刑で火山の中に・・・Σ(ヾ ̄▽ ̄)ヾ!!
「指輪」の他にも放り込むものがあるんですね・・・
高校の修学旅行で長崎に行きましたが、完全に観光気分で楽しんでました。今なら、いろいろと思いをめぐらせて、多少は歴史の重みを感じることができるかもしれません。
長崎、遠いなぁ。。。

○TaekoLovesParisさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿
by りゅう (2013-06-07 01:53) 

りゅう

○CROSTONさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿
by りゅう (2013-06-09 01:38) 

りゅう

○kuwachanさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿
by りゅう (2013-06-15 01:35) 

りゅう

○きたろうさん、nice!ありがとうございます(^o^)丿
by りゅう (2013-06-17 22:22) 

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